突然ですが、感情はありますか?
自分のことですから、もちろんあるとこたえるでしょう。
では、あなたの周りの人はどうですか?同じように感情はありますか?
もし、感情がなくてただ反応して動いてるだけだったら。。。
この世で感情を持っているのはもしかしたら、自分だけなのではないだろうか
なんて思ったことありませんか。
または、自分以外はみんなロボットで意識を持って動いているのは自分だけなんじゃないかとかでもいいです。
今回はそんな題目にピッタリの哲学的ゾンビについてご紹介いたします。
哲学的ゾンビ
哲学的ゾンビとは心に関する哲学に使われる用語で、物理的化学的電気的反応は通常の人間と同じであるが、クオリア(意識)はない人間のことである。デイヴィッド・チャーマーズが1990年代に考案した思考実験である。
ホラー映画などに出てくるゾンビと区別するために、現象ゾンビともいう。
単純に反応だけで動いてるということです。
おいしいものを食べて「おいしい」
美しいものを見て「きれい」
面白いものをみて「笑う」
これらがそれぞれの状況にあわせて自動的に行われているのかもしれないということです。
概念
誤解を招かないようにあらかじめ明言しておきます。今回扱う哲学的ゾンビは何かの心的疾患による精神の欠如であったり
犯罪心理などに関係する内容ではないということを約束させてください。
あくまで思考実験の一部であることをご理解いただければ幸いです。
定義は、外面的(外見)な部分は通常の人間と同じであるが内面的な意識経験(クオリア)を持たない人間であるということです。
私たちは生まれた時からいろいろな経験をしています。
生まれて初めて泣く
始めて立ち上がる
食べる
どこかに旅行に行く
人と会話する
いろんな記憶があるのは確かな話です。
しかしながら、記憶が確かにあると確信が持てるのは意識が入っている自分の体、すなわち自分のみですよね。
ほかの人の体に入って意識があるのを確認できるなら話は別ですが、少なくとも入れ替わりなどはアニメ等の話ですから、基本的には自分という存在しか意識を確認することはできません。
ここで、思考実験「哲学的ゾンビ」の登場です。
普段会話している人は、しっかりとした意識を持っているか確認できるか、は先ほど話しました通り、確認するのは不可能ですよね。
しっかりと意識をもって話しているのではなく、あなたの話に自動的に合わせているだけということも「哲学的ゾンビ」では考えられます。
ここで、先ほどから出ている「クオリア」について説明しましょう。
クオリア
クオリアとは我々の意識にある感覚や経験のことです。脳科学などで使われる用語で、何らかの脳活動で生み出されると考えられています。
似たようなことになりますが、このクオリアは自分のものしか認知できないです。
ほかの人が、あの動物が、なにを感じてどんな思いを抱いているかなんてわからないんです。
最後に
わたしたちが見ているものは、みんなに同じように映っているのでしょうか。
赤いものを見たとして、ほかの人にはしっかりと「自分の見ている赤」が映っているのでしょうか。
空はみんなに青く映っていますか
あなたが青だと思っているその色は他の人にとっては本当にその色ですか。
あなたがおいしいと思っているその食べ物、ほかの人は同じおいしさを感じているでしょうか。
※今回の記事内に登場する色のたとえは色盲などを指す表現ではないことをあらかじめ明記しておきます。ご了承ください。
また、あわせてそのほか身体的、精神的な個人差を揶揄するものではなく、哲学的思考道具としての話題であるということを明記しておきます。
最後に関連した面白い動画を載せておきます。
なぜ、右のコマが暗いままか分かりますか?
今回の記事がヒントです。